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週刊はらえり

ぽんこつエッセイ世界へ羽ばたけ

うーちゃん、逝く

11年間飼っていたウサギのうーちゃんが死んでしまった。

 

一ヶ月前くらいから急に前足が不全状態になってしまって、思うように立つことができなくなってしまい。

本当に唐突に、何の前触れもなく衰弱し始めてしまい、

6月25日(水)に亡くなってしまった。

 

私が一人暮らしを始めてからは週末に帰省した時にしか会えなかったのだけど、

本当にちょっと前までは部屋中駆け回って、こちらが追いかけるのが大変なくらい元気だったのに、本当に急だった。

 

私を不用意に動揺させるのが嫌だったからという理由で、

死んだことを親から聞かされたのは、さっき。

だから死に目には会えなかった。

亡がらは父が撮った写真で見た。

写真で見るのが限界だな、と思った。

悲しくてとても見れない。

元気なうーちゃんのまま、なんかどっかへ逃げちゃったことにしたい気分だ。

 

小さな命かもしれない。

意思の疎通も難しいような動物だったし。

暴れん坊で、あまり抱かせてくれないような気性だった。

 

でも、とても我が家にとっては大きな大きな存在だった。

なんだか、その存在は、奇跡みたいだった。

天使というか、何か意図があって、誰かがプレゼントしてくれたような存在だった。

 

母親の仕事仲間が飼っていたミニウサギが沢山こどもを産んだので、

なんとなくもらったのがうーちゃん。

他の兄弟が白ウサギの中、一匹だけ茶色。

色と寿命に因果関係があるのかは知らないけど、白ウサギはとっくに全部死んでしまっているらしい。だからうーちゃんの11年なんて、大往生もいいところだ。

 

我が家に来たのは私が高校一年生のちょうど今の時期。

6月の終わりとか、7月の頭だったと思う。

我が家はぶつかることが多かった家庭だったんだけど、うーちゃんの周りに自然と家族が集まるようになったことが、とても嬉しかった。

共通の話題といえば、うーちゃんのことくらいだった。

11年間、みんなで慈しんだ。

 

あまりペットに興味がないような両親も、うーちゃんばかりは大切にしていた。

愛される要素しかない存在だった。

父もさっき思い出したように泣いていた。

ペットのことで泣くなんて、父も年取ったもんだ。

 

 

そういえばちょうど一週間前、本当にたまたま「死を受け入れる」ということについての映画を観た。キャメロンディアス主演の「私の中のあなた」。

 

母親役のキャメロンディアスは「余命幾ばくもない長女が死ぬという事」を受け入れられずに、何としてでも生かすことに執念深くなってしまっている一方で、当の本人は静かに自分の死を見つめ、受け入れ、死を迎えようとしている。そんな話。最後の方のシーンで、病床に伏す長女に「お母さんは大丈夫だよ」と言われてキャメロンディアスが子供のように抱きしめられるシーンは泣けた。

達観して二人を見つめる次女のセリフで、「死ぬということに特別な意味はない。死んだからといって何かが大きく変わることもない。死は、淡々と受け入れるものなんだ」というようなものがあった。

私も本当に無意識レベルで、「死」ということに対する心の準備がしたかったのかもしれない。なんとなく、そのセリフのことをぼんやり考えた一週間だった。うーちゃんの死は、その矢先だった。

 

ありがとうを言えなかったなと思った。

ウサギに何を、という感じかもしれないが、

我が家の緩衝剤としての使命を持って来てくれた気がする。

大きい存在の誰かが、プレゼントしてくれた気がする。

なんでこのタイミングでさようならなのかはわからないけれど、

確実に11年前よりは今の方が家族仲は良くて、

今はみんながみんなを思いやれていると思う。

その一助をうーちゃんが確実に担っていたかと思うと、

やっぱりありがとうと言いたい。

 

ありがとう。